バターチキンで感じるインドの文化

インドにホームステイしていた頃、食事を作ってくれるのは、専業主婦のお母さんと住み込みで働く男の子だった。

朝食はトーストとオムレツにチャイ、昼は外食で簡単に済ませ、夕食は時間が合えばホストファミリーと食卓を囲んでいた。ちなみに、インドの夕食はとても遅く、いつも9時ごろから食べ始め、終わるのは10時頃。そしてすぐ寝る。そりゃ、太るはずだ。

夕食に出るメニューは、どこの家も似たり寄ったりで、ダル(豆)カレーと薄焼きパンのチャパティ、スパイスで味付けしたサブジ(野菜のお惣菜)数品にインドのバスマティライスだった。

よく、友人(日本人)に“インドの料理って、全部カレー味なんでしょ?”と聞かれる。
たしかにカレー味だ。ただ、日本人はインド料理を一言で「カレー味」とくくってしまうが、インド人にとって、「カレー味」は存在しない。あくまでもスパイスという調味料を食材に合わせて、使いこなしているだけの感覚だ。日本人にとっての「カレー味」は、アメリカ人が日本の味をイメージする時に、“照り焼き”バーガーの、あの“あまじょっばいTERIYKI味”を想像するのと一緒なのかなと、最近思う。

話をもとに戻すと、前のブログでも書いたが、家でナンは食べない。家にはナンを焼く窯がないからだ。家庭では全粒粉を使った身体にとてもヘルシーな、フライパンで焼く薄焼きパン“チャパティ”を食べる。

お母さんも住み込の男の子もチャパティを手際よく粉からこね、丸くのばし、フライパンで焼くのがとても上手だった。私も簡単に作れると思い、ある日、見よう見まねでチャパティを作ったが、見事失敗に終わった。お母さんには、“鳥のエサにしかならないわ”とため息交じりに言われ、本当に私が作ったチャパティを小さくちぎって鳥のエサにしたが、鳥のエサにもならなかったことが一生忘れられない思い出だ。あれ以来、チャパティを作る努力はしていない。

チャパティは口当たりが軽く、サイズも小さいので、わんこそば感覚で、何枚も焼きたてをおかわりできてしまう。さらに、チャパティはスパイス炒めのお惣菜(サブジ)にものすごく合う。一口大にちぎったチャパティでお惣菜を挟み食べる。シンプルな主食にはシンプルなおかずがあうものだと“はふはふ”しながら食べたものだ。そして、インドのバスマティライスには、サラサラの豆カレーが合うのは言うまでもない。

家庭で食べるご飯は、いたってシンプルだけど、スパイスを使いこなした家庭料理を存分に楽しめ、良い経験になった(時々、はずれはあったけれど)。

ホームステイのファミリーとは、月に数回、元軍人のお父さんが運転する日本車Maruti Suzukiの車に乗って外食にも出かけた。その日は、ここぞとばかりに、家では食べられないクリームをたっぷり使った「これこそThe北インド料理!」を食べたものだ。そう、外食でもインド料理だった。時々、南インド料理もあったけど…。

レストランに行くと、バターチキンは必ず注文する一品だった。バターチキンと一緒に食べる主食は、“ロティ”というちょっとクリスピータイプのパン。チャパティと同じ全粒粉から作られているが、ロティはタンドール窯で焼くので、パリパリ感が楽しめ、クリーム系のカレーによく合う。

バターチキン以外にも、サラサラでないこれまた濃厚な豆カレー(ラジマ)や、丸い団子のような具材が入ったマライコフタカレーなど、レストランで食べるカレーはどれも高級感溢れる特別な味わいだった。そして、何よりバターチキンは家ではお目にかかれない贅沢なカレーだった。今でもバターチキンの先に見えるのは、パズルのピースのように散りばめられたインドでの思い出の数々だ。

レストランの役割は、家で味わえない「食事」が提供できてこその存在価値だと思う。それは、恐らく味だけでなく、一緒に食べる人の笑顔や会話、お店の雰囲気や流れる時間、そういった美味しい場の提供なのかもしれない。誰かの思い出の一枚になれれば、レストラン冥利に尽きる。

About Us
ONLINE SHOP
PAGE TOP